最近、たまに、アイドル声優らをさして「2.5次元」という表現をされているところを目にしたり耳にしたりするのだが、自分はこの表現が非常に嫌いであった。そこで、なぜそのような表現がなされるのか、その表現は妥当なのかについて考えていた。
そもそも、何をもって2.5次元と呼ぶのか。浅学な自分はとりあえずGoogle先生に訪ねてみた。最近ではトゥーンレンダリングなどの表現のことについて2.5次元という語が使われることの方が多いようだ。ということがわかったが、どのように曲解してもこの意味で声優は2.5次元であるとは表されない。
いくつか結果をあたってみると、アンサイクロペディアにぶち当たった。
* 声優
2.5次元の発見する原因となった人々。彼ら(彼女ら)は実際には3次元に存在するにもかかわらず、特殊媒体を使用することによって見た目も声も2次元に変化することが出来る。よって彼ら(彼女ら)は2次元にも3次元にも存在する2.5次元の存在だと言われている。なお、いくら彼ら(彼女ら)の2次元像が美しくても実際は17歳には見えなかったり、般若仮面であったりするので3次元像は知らないほうが良い。
これだ。こういう考え方における「2.5次元」の使われ方が非常に気にくわなかった。というのもまぁ、有り体に言えば、自分がこの引用中における声優の「3次元像」のファンだからに他ならない。
話がここで終わるなら、自分はここでわざわざエントリを書かない。
しかし最近では声優らが自分自身をさして「2.5次元(みたいなもの)」という表現をするのだ。同じ文脈で、ジャニーズのアイドルなども「アレも2.5次元でしょう」というような表現をされる。
さて、ここで声優らは、「自分にアニメキャラが投影されるからこそ2.5次元なのだ」という主張をしているようにはとうてい思えない。だとしたら同時にジャニーズタレントが引き合いに出される訳はないからだ。
話が少し戻るが、2.5次元という語が出てくる前提には、もちろん2次元と3次元という語の利用がある。ここで、2次元とはアニメや漫画、ゲームなどの登場キャラクターということにしてしまって良いだろう。基本的には紙や画面といった「平面上」にのみ存在することから2次元と呼ばれる。これに対応する3次元というのは、立体映像のことでも、立体物(フィギュアや人形など)のことではなく、あくまでも「現実に存在する人間」のことを指している。
ここでくせ者なのが、この「現実の人間」という部分である。アイドルや声優、芸能人というのはことごとく「現実に存在する一個人」である。テライユキとか伊達杏子みたいなのもいるが、あーいうのはいわゆる実験段階の例外であるし、バーチャルアイドルとして、一般のアイドルや芸能人たちとは明確に区別されるし、アレを「3次元」にカテゴライズする人もいないだろう。
声優、ないしはアイドルたちを「2.5次元」とする人たちは、つまり接触不可能な相手を「3次元」には含めない、という区分をしている人たちなのではないだろうか。
確かに、相手はこちらを個人として認識していないのに、こちら側から一方的に個人を認識し、好意を寄せる様は2次元キャラに対する好意とある種近いものがある。もちろん、2次元のキャラではないので本人に向かって好意を伝えることはできる。ファンレターや握手会等、常識的な範囲でも、いくつか方法はあるだろう。
しかし、その好意は1対1での恋愛という意味で応えられることはないが、それと同時に明確な拒絶をされることもない。そういう意味で、2次元の対象に対する好意に似ている。
つまり、「3次元」を「現実に存在する人間」というよりも、「現実に健全なコミュニケーションができる対象としての人間」としてとらえた場合、タレントという言葉に集約される、「メディアを介してしか知らない人」はあからさまに「3次元」ではない。そういうことを、言いたいのだとすれば納得ができる。
逆に、通常のアイドルや芸能人は棚に上げて声優だけを「2.5次元」として表現する人たちは死ねばいいと思うよ。